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東京高等裁判所 平成8年(ネ)5697号 判決

平成八年(ネ)第五六九七号事件被控訴人、同年(ネ)第五七六〇号事件控訴人

(以下「第一審原告」という。)

甲野太郎

平成八年(ネ)第五六九七号事件控訴人、同年(ネ)第五七六〇号事件被控訴人

(以下「第一審被告」という。)

斎藤医科工業株式会社

右代表者代表取締役

斎藤嘉邦

右訴訟代理人弁護士

伯母治之

平成八年(ネ)第五七六〇号事件被控訴人(以下「第一審被告」という。)

乙山二郎

右訴訟代理人弁護士

厚井乃武夫

主文

一  原判決中第一審被告斎藤医科工業株式会社敗訴部分を取り消す。

二  右取消しに係る部分の第一審原告の請求を棄却する。

三  第一審原告の本件控訴を棄却する。

四  訴訟費用(第一審原告の本件控訴費用を含む。)は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  平成八年(ネ)第五六九七号事件

1  第一審被告斎藤医科工業株式会社(以下「第一審被告会社」という。)

(一) 原判決中第一審被告会社敗訴部分を取り消す。

(二) 右取消しに係る部分の第一審原告の請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。

2  第一審原告

控訴棄却

二  平成八年(ネ)五七六〇号事件

1  第一審原告(当審において請求を減縮)

(一) 原判決中第一審原告敗訴部分を取り消す。

(二) 第一審被告会社は、第一審原告に対し、原判決主文第一項で認容された額に加えて、更に金一〇〇万円及びこれに対する平成四年六月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 第一審被告乙山二郎は、第一審原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成四年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(四) 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの負担とする。

(五) 仮執行宣言

2  第一審被告ら

控訴棄却

第二  事案の概要

本件の事案の概要は、次のとおり付加するほかは、原判決書「第二 事案の概要」(原判決書三頁一〇行目から一五頁三行目)の記載と同一であり、証拠関係は、原審及び当審訴訟記録中の証拠関係目録記載のとおりであるので、これらを引用する。

1  原判決書六頁五行目の「甲一」を「甲一の1及び2」と同七、八行目の「業としており」を「仕事としており」に、同七頁五、六行目の「懲戒委員会の審査に付さないことを相当とする議決」を「第一審原告を懲戒委員会の審査に付する必要がないものと認める旨の議決」にそれぞれ改める。

2  原判決書九頁五行目から一〇頁一行目までの「(一)」の項を次のとおり改める。

「(一) 争いのない事実等3記載のとおり、第一審原告は、第一審被告会社の返還請求に応じて一〇〇万円を返還したが、右本件一〇〇万円は、当事者間の紛争を一切解決すること、さもなくば一〇〇万円を改めて第一審原告に返還することを条件(解除条件)として返還合意され、履行されたものである。しかるに第一審被告会社はこの合意に反し、平成四年六月一〇日ころ、第一審原告に対して二三〇万円の返還を求め(丙二)、これに応じない場合には弁護士会に懲戒請求をするとの脅しをかけてきたものであるから、解除条件が成就したものとして、第一審被告会社は第一審原告に対して一〇〇万円を返還する義務がある。仮に右返還合意が解除条件付のものでないとしても、右一〇〇万円の返還は当事者間の紛争の全面解決を前提になされたものであり、右前提が満たされなかった以上、第一審被告会社が右金員を保有し続けることは第一審原告の損失に因り不当な利得をしていることになる。そこで、第一審原告は不当利得の返還として右一〇〇万円の支払を求める。」

第三  当裁判所の判断

一  第一審原告の第一審被告らに対する請求(不法行為に基づく損害賠償請求)について

1  第一審原告が昭和四八年に弁護士登録をした第一東京弁護士会所属の弁護士であること、第一審被告会社は各種医療用注射針の製造販売等を目的とする会社であること、第一審被告乙山は昭和六三年に弁護士登録をした東京弁護士会所属の弁護士であること、第一審被告会社は、平成四年九月八日、第一審被告乙山を代理人として、請求理由(一)(第一審原告を第一審被告会社に紹介した高木富康は、第一審原告のために法律事件の周旋を行い第一審原告から手数料を得ることを仕事としており、今回も第一審被告会社が一五万円ずつ四回にわたって支払った金員のうち、高木は五万円ずつを紹介手数料として受領した。)、同(二)(第一審被告会社が第一審原告に平成三年一二月三日に支払った二〇〇万円の着手金は、第一審原告から強迫を受けたために支払ったものである。)及び同(三)(第一審被告会社は、平成四年二月二〇日ころ、第一審原告に以前預けてあった事件資料の返還を求めたが、第一審原告は資料の一部を返還しない。)等の事実を挙げて第一東京弁護士会に第一審原告の懲戒を請求したが、第一東京弁護士会の綱紀委員会は、平成五年九月一七日、第一審原告を懲戒委員会の審査に付する必要はないものと認める旨の議決をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に加え、証拠(甲一の1及び2、三ないし六、八ないし一六、一九ないし二二、二四ないし二六、二七の1及び2、二八の1及び2、乙二ないし一二、丙一ないし四、原審における証人市川皓一及び第一審被告会社代表者本人)並びに弁論の全趣旨によれば、本件の経緯として次の事実が認められる。

(一) 第一審被告会社は、平成元年九月ころ訴外株式会社三同(以下「訴外三同」という。)に公害防止用排水設備の設計施工を依頼し、右工事は平成三年八月ころ完成したが、右工事後の排水が法定排水基準に達していない等の問題があり、工事の欠陥の有無、代金支払などをめぐって対立があり、訴外三同と交渉する必要が生じていた。また、平成三年四月ころ以降訴外三同から出向の形で第一審被告会社の社員となっていた君島元が同年七月ころ第一審被告会社の斎藤社長を非難する内容の文書を会社の内外に配るなどの事態が発生したため、この対策も講じる必要があった。またそれとは別に、第一審被告会社が訴外株式会社トップメディカル(以下「訴外トップメディカル」という。)に搬入した医療機器の代金支払をめぐっても第一審被告会社と訴外トップメディカルとの間で交渉する必要があり、訴外株式会社ヒタチメディカルに対しても法律的事項に関し確認すべき懸案があった。そこで、斎藤は、医療事務に詳しい人物の採用と弁護士の紹介をかねて知り合っていた取引先の積徳インターナショナルの代表者市川皓一社長に依頼していた。

(二) 訴外高木富康は、もと医療関係の会社に勤務していたが、平成三年初めころ右会社を辞め、医療関係に関する経営コンサルタントとして独立しようと考えていた。しかし、事務所を構えることが困難であったことから、同年春ころから禅の修行団体で知り合った第一審原告の好意により第一審原告の法律事務所内の机を借り、電話も使わせてもらっていた。そして高木は、肩書を「ビジネスコンサルタント」とし、住所を第一審原告の事務所である「東京都港区××××甲野法律事務所内」と記載した名刺を持ち歩くようになった。

高木と積徳インターナショナルの市川皓一社長とは一〇年来の知り合いであり、高木のおじが積徳インターナショナルに勤めていた関係もあって、高木はかなり頻繁に積徳インターナショナルに出入りしていた。高木は、積徳インターナショナルの社員や同社の取引先の者に、法律上のトラブルがあればよい弁護士を紹介するなどと言って、前記のように自己の事務所を第一審原告の事務所内と記載してある名刺を配ったり(斎藤も、平成三年七月ころ市川から高木を紹介された際に高木から同様の名刺(乙七)を受け取った。)、自分が第一審原告に事件を紹介したときは第一審原告から手数料をもらうことになっている、あるいはもらった等と吹聴していた。そして、このことは、市川を通じて斎藤の知るところともなっていた(右認定に反する高木の報告書(甲六)や陳述書(甲一六)の記載は、乙二(斎藤の陳述書)、乙一〇(市川の陳述書)、乙一一(松尾精三の陳述書)の各記載、原審における証人市川皓一の証言、第一審被告会社代表者尋問の結果に照らし採用できない。)。

(三) 斎藤は、平成三年八月ころ、市川のいる積徳インターナショナルの事務所で、既に市川から紹介を受けていた高木とともに来合わせていた弁護士である第一審原告と初めて会って面識を得た。その後斎藤は、電話で第一審原告に具体的に事件の話をして法律問題処理の依頼をし、まもなく第一審原告の事務所に赴いて第一審原告と第一審被告会社との間で月額一五万円の顧問料を支払う旨の顧問契約を締結した(甲八)。

そして、第一審被告会社は第一審原告に対し次のとおりの金員を支払った。

① 平成三年八月二四日 五〇万円(君島及び訴外三同との間の紛争に関する着手金)

②     九月二六日 一〇〇万円(右着手金の残金)

③    一〇月 四日 一五万円(顧問料)

④    一一月 一日 一五万円(顧問料)

⑤    一二月 二日 一五万円(顧問料)

(四) 第一審原告は、同年八月後半ころから、君島との紛争、訴外三同との紛争等の法律問題の処理に着手し、斎藤との打合せ、君島との面談や円満解決に向けての説得、内容証明郵便の送付等の業務を行ったほか、訴外トップメディカルとの取引約定書に関する相談にも応じていた。そして、第一審原告は、第一審被告会社と訴外トップメディカルとの間の法律問題のうち、第一審被告会社が同年五月に納入した医療機器についての代金(当初の請求額は三八六〇万円)をめぐる紛争については、同年一〇月ころ、訴外トップメディカル側の弁護士と、書面の交換や直接交渉をする等していた。また、同年一〇月ころには訴外ヒタチメディカルとの間の出資金をめぐる紛争についても第一審原告は照会の書面を出すなどしていた。

(五) ところで、第一審原告と第一審被告会社との間では、主として訴外トップメディカルとの紛争処理について着手金を二〇〇万円とする旨口頭で合意していたが、斎藤は高すぎるのではないかと考えて支払を遅らせていたところ、第一審原告は平成三年一二月二日夕刻、第一審被告会社に電話し、電話に出た経理担当の女性事務員に対し、強い口調で入金がないことをなじり、至急社長の斎藤に連絡するよう告げた。驚いた女性事務員は、直ちに自動車で移動中の斎藤に電話をして第一審原告の電話内容を伝え、斎藤が停車して車内から第一審原告に電話したところ、第一審原告は、強い調子で約束していた着手金二〇〇万円が第一審原告の口座に入金されていないことを責め、二〇〇万円と実費の一五万円を翌日昼までに支払うよう要求した。斎藤は、第一審原告の要求の強い調子と剣幕に驚き、翌三日に二一五万円を第一審原告宛に送金した。

(六) しかし、斎藤は、第一審原告の金銭要求の態度を強硬かつ強引に過ぎると感じたことに加え、第一審原告のそれまでの仕事内容に比べ支払った金員が高額に過ぎると思われたことから、市川等の意見も聴いた上同月一〇日、書面で第一審原告に対し、同月三日に支払った金員の半金を返還するように求めるとともに、同月二日の第一審原告の要求の強引さに苦情を呈して顧問契約を解約することを通知した(乙四)。

これに対し、第一審原告は同月一八日、第一審被告会社が一方的に委任関係を解消させるのであるから既に受け取った着手金等を返還する必要はないが自己の判断に基づき第一審被告会社との依頼関係、権利義務関係を一切終了させることを前提に一〇〇万円を返還するので振込口座を連絡するようファックスで連絡した(甲三)ところ、第一審被告会社は同月二五日、銀行の当座預金口座番号を連絡したので(甲四)、第一審原告は同月二七日、第一審被告会社の口座に一〇〇万円を振り込み送金した。

(七) 第一審原告と第一審被告会社との委任が解約された後、第一審被告会社は平成四年二月二〇日ころ第一審原告に対し、書面(乙五)で、訴外トップメディカルとの紛争解決に関して第一審原告に預けていた関係資料の返還を求めた。第一審原告は、そのころ、あらかじめ連絡した上で書類を受け取りに来た第一審被告会社の社員らしい者に対し、預かった当時と同じく多数の資料を買物袋に入れた状態で返還したが、第一審原告も第一審被告会社も、右資料の預託及び返還の際に資料のリスト、預り証、受領証等の授受をすることがなく、また第一審原告も第一審被告会社の右書面による返還要求に対し書面による特段の応答はしなかった。ところが、第一審被告会社は、その後の担当者の点検により、資料の一部が返還されていないとしてこれを請求理由(三)とする本件懲戒請求をしたが、第一審原告による右の資料の返還のときから本件懲戒請求に至るまで、第一審被告会社から第一審原告に対して預けた資料の一部が未返還であるとの指摘や要求がされたことはなかった。そして、第一審被告らは、右未返還の資料は「機械図面、パンフレット、設計レイアウト図、見積書の一部」である旨主張するが、未返還であるとする資料の内容を確知できる証拠はない。

(八) その後、平成三年暮れに訴外三同から提起された手形訴訟(宇都宮地裁大田原支部係属)は東京の福田弁護士が担当していたが、第一審被告会社は平成四年三月に敗訴判決を受け、第一審被告会社は、福田弁護士に代えて第一審被告の乙山弁護士に事件処理を依頼した。そして、斎藤は平成四年五月ころ、第一審被告乙山との右訴訟処理の打合せの過程で、第一審被告乙山に、「実は、昨年福田弁護士に依頼する前に、甲野先生という弁護士に相談をしていたが、依頼内容に比較して非常に高い弁護士費用を要求された上に昨年一二月には電話で大声で怒鳴り付けられたため恐くなりやむなく二〇〇万円を支払ってしまった。そのうち一〇〇万円は返してもらったがどうしてもあのときのことが忘れられない。何かよい方法はないだろうか。」と相談を持ち掛けた。第一審被告乙山は、弁護士会に対する紛議調停と懲戒請求の制度があることを説明したが、直ちにこれらの申立てをするのではなく、とりあえず既に支払った弁護士費用のうち正当な費用を超えると思われる金額の返還を求めてはどうかとアドバイスするとともに、第一審原告に既払金の返還を求める内容証明郵便の原案も作成した。そして、右原案どおり、第一審被告会社は第一審原告に対し、平成四年六月一〇日付で、「既に支払った弁護士費用三一〇万円(支払った四一〇万円から返還された一〇〇万円を控除した金額)のうち八〇万円は仕事に対する常識的な金額であるが、それを超える残りの二三〇万円については支払う必要はないと考えるので返還を求める。右支払がないときは第一審原告所属の弁護士会に弁護士費用の請求額及び請求態様が正当なものだったかどうかを審査してもらうつもりである。」旨を記載した「通知書」と題する書面(丙二)を第一審原告宛に発出した。

(九) これに対して第一審原告は、同年六月二五日付けで、第一審被告会社が支払った弁護士費用は、その都度第一審被告会社が承諾して自発的に支払ったもので、本来一〇〇万円は返還する必要もなかったものであるが、今後委任関係を終了させて一切の権利義務関係を解消させることを条件に返還したもので、第一審被告会社の要求は到底受け入れられない旨記載した「回答書」と題する書面(丙三)を発出した。

右回答を不満とした斎藤は、同月二九日に第一審被告乙山に第一審原告に対する弁護士会への懲戒請求をしてほしいと依頼した。

そこで、第一審被告乙山は、即日、斎藤が強迫されたとする第一審原告からの電話の状況について、第一審原告からの電話を最初に受けた女性事務員(斎藤圭子)とその直後に女性事務員から報告を受けた社員一柳幸雄から電話により説明を聴取した。その後同年七月一日には第一審被告乙山の事務所において斎藤から、第一審原告との電話のやりとりについて説明を求めた。その際書類の一部が返されていないとの申立てもあり、斎藤から第一審原告に対して出した書類の返還を請求する書面のコピー(乙五)を受領するとともに、返還されていないという書類の種類内容を聴取した。

右事情聴取の際、更に第一審被告乙山は、斎藤に対して第一審原告との出会いから当時までの経緯を聞いたところ、高木富康という人物の紹介で第一審原告を知ったこと、高木は第一審原告に事件を周旋して手数料をもらっている等のことを積徳インターナショナルの関係者等に語っていたとのことであったので、第一審被告乙山は積徳インターナショナルの市川社長や、平成三年当時積徳インターナショナルに籍を置いていた松尾精三に面談して事実を確認したところ、高木がそのようなことを語っていたことは間違いないとの供述を得た。

以上の調査により、第一審被告乙山は、請求理由(一)ないし(三)の懲戒事由があるものと判断し、それらの事実を懲戒請求の事由として懲戒申立書の原案を作成し、それを斎藤、一柳、市川、松尾らに見せて間違いがないかどうかの確認を得た上、平成四年九月八日に第一東京弁護士会に第一審被告会社の代理人として本件懲戒請求書を提出した。

(一〇) 第一東京弁護士会綱紀委員会は、第一審原告や第一審被告会社代表者等関係者からの事情聴取や関係書類などに基づく調査審議の上、平成五年九月一七日、第一審原告を懲戒委員会の審査に付する必要はないものと認める旨の議決をした。その理由の要旨は、①請求理由(一)については、高木が第一審原告に事件の周旋をしたとの証拠はなく、第一審被告会社が第一審原告に四回に渡って一五万円ずつ支払った金員のうち各五万円を受領した事実も認められず、かえって高木はビジネスコンサルタントとして独立準備中であったが、事務所を構えることが困難であったため禅の修行で知り合った第一審原告の好意により第一審原告の法律事務所の机と電話を使わせてもらっていたにすぎないと認められること、②請求理由(二)については、第一審原告が相当激しい口調で着手金二〇〇万円の支払の遅延を責めその履行を請求したことは認められ、そのこと自体は穏当ではなかったとはいえるが、第一審原告が「逆にやってやるぞ」という発言をしたとまでは認められず、第一審原告が第一審被告会社を強迫したとは認められないこと、③請求理由(三)については、第一審原告は従前資料を持参した同一人物に資料を返還したものであって、第一審原告が直接第一審被告会社に(その人物に交付返還することの可否を)確認しなかったことに若干軽率な点は認められるものの、資料を持参した人物からその返還の請求があればその人物を第一審被告会社の使者と考えるのが通常であるから、その事実をもって一応第一審原告としては第一審被告会社に資料を返還したものと同視でき、懲戒事由に当たらない、というものであった。

3  弁護士法五八条は、弁護士の綱紀、品位、信用を保持し、弁護士会の有する懲戒権の行使の公正を担保するとともにその発動の活発化を期するため、公益的見地から、何人にも弁護士に対する懲戒請求権を認めている。これは、弁護士会が、個々の弁護士の職務の内外に及ぶ行動全般を把握しておくことは不可能であるということと、国の司法制度において重要な意味を有する弁護士懲戒制度を、国ではなく、弁護士で組織する団体である弁護士会(及び日本弁護士連合会)の自治に委ねたことから、弁護士会による懲戒権の発動を国民の監視下においてその適正を図るためであると理解される。したがって、懲戒請求に対し、弁護士会が懲戒請求の理由がないものとして懲戒委員会の審査に付さない旨の決定をしたからといって、それだけで直ちに右懲戒請求が違法となるものではない。しかし、他方懲戒を請求された弁護士にとっては、このための弁明を余儀なくされ、根拠のない懲戒請求によって各誉・信用等を毀損されるおそれがあるから、懲戒請求権の濫用とも目すべき場合、すなわち懲戒事由が事実上、法律上の根拠を欠くものである上、請求人が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得た(この場合、高度の調査、検討を要請することは懲戒請求権の活発な利用を阻害する虞があるから妥当ではない。)のにあえて懲戒を請求するなど、懲戒の請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし著しく相当性を欠くと認められる場合には、違法な懲戒請求として不法行為に該当し、そのために被請求人が被った損害について賠償責任を負うというべきである。

4  そこで、以下本件懲戒請求に右にいう違法性があったかどうかについて検討する。

請求理由(一)については、前記2(二)に記載のように、高木は、住所を第一審原告の法律事務所内とする名刺を所持し、斎藤を含め多数の者に配ったり、積徳インターナショナル社長の市川及び同社に籍を置いていた松尾に第一審原告のために事件を紹介して手数料をもらっている旨を話したりしていたことが認められるが、高木から事件の周旋を受けたことや手数料を支払ったとの点は第一審原告の強く否定するところであり、かえって原審における証人市川皓一の証言によれば、高木は話題の相当性や対人関係の配慮に欠け、積徳インターナショナル内で金銭面で問題を起こし出入り禁止になるなどその言動において問題の多い人物であることが窺われるから、その発言内容は信頼できず、他に請求理由(一)を認めるに足りる証拠はないから、請求理由(一)について懲戒事由としての事実的基礎があったとはいえない。

しかし、高木が事務所の所在地を第一審原告の法律事務所内とした名刺を持ち歩き、配り(実際にも高木は業務の連絡先として第一審原告の法律事務所の電話と机を使用していた。)、積徳インターナショナルの市川や松尾ら複数の人間に対して第一審原告に事件を周旋して金銭を得ているとの趣旨の発言を繰り返していたことは前認定のとおりであるところ、第三者からみれば、高木は第一審原告と電話と事務所を共通にするなど極めて密接な関係があるとみられてもやむを得ない立場にあり、そのような人間が第一審原告のために法律事件の周旋を行っている等と度々複数の関係者に述べていたことからすれば、高木が当時、以前勤めていた会社を辞めて特に収入がある状態ではなかったこと(このことは、本件懲戒請求までに積徳インターナショナルの市川を通じて第一審被告らの知るところとなっていたものと推認できる。)をも併せ考えると、斎藤及び第一審被告らにおいて高木の発言内容を十分あり得べきことと信じたことも無理からぬ事情があったというべきである(言い換えれば、第一審被告らにおいて高木の発言が虚偽であることを知っていたとか簡単な調査で容易に見抜くことができたとの事情は本件証拠上窺うことはできない。)。そして、もし、高木の発言が真実であるとすれば弁護士倫理(平成二年三月二日日弁連臨時総会決議)一三条(弁護士は、依頼者の紹介を受けたことに対する謝礼その他の対価を支払ってはならない。)に反することは明らかであるから、請求理由(一)についてこれを懲戒事由とした第一審被告らの懲戒請求に違法性はないというべきである。なお、第一審被告らは、本件懲戒請求に先立ち、高木や第一審原告に対して事情聴取をしていないが、高木の発言内容については第一審被告乙山は、斎藤(伝聞)のほか、市川、松尾からも確認している上、丙四によれば、当時高木は、積徳インターナショナルの出入りを禁止され、第一審原告事務所への出入りもなくなっていたため、第一審被告乙山において容易に所在を知ることができる状況になかったことが認められるから、高木について事前聴取をしなかったことが第一審被告らの落度となるものではなく、また第一審原告は懲戒の被請求人たる弁護士なのであるから、弁護士懲戒制度の趣旨に照らし、第一審原告から事前に事実関係を確認することまでは要求されないというべきである。

次に請求理由(二)については、前記認定のとおり、第一審原告が斎藤に対して、約束していた金の入金がないことをなじり、二〇〇万円と実費一五万円をすぐに支払うよう要求したこと、右要求の態度ないし口調はかなり強い調子のものであったことが認められる。そして、乙一二によれば、第一審被告会社の女性事務員や第一審被告会社社員一柳が書き残したメモには、第一審原告の発言内容として、女性事務員に対しては「請求書出しているんだが、おたくが経理しているの。一円も入金になっていないが、どういうことか。そちらがその気ならただじゃおかないから。ともかく、至急社長と連絡を取って電話をくれ。」等と述べた旨、その後連絡をとった斎藤に対しては、「おい、金を払わないのはどういうことだ。こんな面倒くさい仕事をやっていて、承知しないぞ。男と男の約束だ。明日一二時までに金を払え。払わないと大変なことになるぞ。逆にやってやるぞ。」等と述べた旨が記載されていることが認められる。

しかし、第一審原告は、「逆にやってやるぞ」等と言ったとの点は否定しており、当時の第一審原告と斎藤との関係を考慮すれば、右は趣旨不明の発言といわざるを得ないから、右のとおりの発言があったとは認め難い。そして、もともと、右の問題となった二〇〇万円は既に口頭で支払が約束され支払が遅延していた着手金の催促であって、仮に第一審原告において乙一二に記載されている内容に近い言葉で、かつ強い調子で入金を催促したとしても、それは第一審原告の性格ないし一種の正義感情に基づくものであることが窺われるのであり(甲九、丙三、第一審原告の平成九年五月二三日付、同年六月二五日付各控訴審準備書面等参照)、斎藤がその剣幕に気押され、心理的圧迫を受けたとしても、斎藤も社会経験を積んだ事業経営者で、過去に弁護士を頼んだ経験もあり親戚にも弁護士がいること(原審における第一審被告会社代表者尋問の結果)からすれば、斎藤が供述するように弁護士であるが故に格別の畏怖心を抱くべき根拠は乏しいというべきであり、第一審原告の本件二〇〇万円の着手金等の要求の仕方が全体として社会的に許容される範囲を逸脱したものであるとは認めることはできず、四囲の状況及び前後の経緯からしてこれが強迫に当たるとは到底認めがたい。そうすると、請求理由(二)についても懲戒事由としての事実的基礎はないというべきである。

しかし、前記の着手金二〇〇万円の請求態様については、前記綱紀委員会の議決の理由中においても、第一審原告の口調が相当激しく、支払の遅れている着手金の請求を口調激しく請求することは穏当ではないと説示されているように、第一審被告会社代表者斎藤としては、乙一二に記載されている内容に近い言葉で高圧的に入金を要求され、弁護士による着手金の請求としては強引に過ぎると感じ、第一審原告の請求の仕方から受けた圧迫感を理不尽なものと受け止めたことも無理からぬ面がないとはいえない。そして、債権の請求が強迫ないし弁護士法五六条に定める「品位を失うべき非行」に当たるかどうかは、債権者の言辞の内容、債権者・債務者双方の年齢、職業、社会経験、債務の性質、請求に至る経緯と請求時の状況など諸般の事情を総合的に考慮して法律的に決せられるべきものであって、右のように多少穏当を欠くとみえる方法で着手金の入金の催促を受けた第一審被告会社代表者斎藤の側からすれば、第一審原告の行為が明白に強迫に該当せず弁護士の品位を失うべき非行には該当しないことが容易に判明し得たとは必ずしも断じがたい。そして、第一審被告乙山としても、前記のとおり斎藤のほか、第一審被告会社の女性事務員、右女性事務員から直後に事情を聞いた男性社員に対して電話で事情を聴取した結果、前記「逆にやってやるぞ。」の発言を含む第一審原告の発言内容と語勢等を確認した上、着手金二〇〇万円は第一審原告の強迫により支払ったものであるとの第一審被告会社(斎藤)の言い分に相応の根拠があるものと判断して懲戒理由(二)としたことが窺われ、右調査の過程で懲戒理由(二)が事実上及び法律上の根拠がないことが容易に判断できたとは認めがたいから、請求理由(二)についても第一審被告らの懲戒請求に違法性はないというべきである。

最後に、請求理由(三)については、前記のように第一審被告会社は委任契約解除後、第一審原告に書類の返還を求める書面(乙五)を出し、第一審原告は右書面に対し特段の応答をしなかったことが認められるが、他方、前記認定の事実によれば、請求理由(三)は、預けた資料の一部が返還されていないことを問題としていることが明らかであるところ、請求理由(三)自体からも、本件証拠上も、未返還とする書類の内容が明らかでなく、結局第一審被告らの主張する未返還の書類の特定は不十分であるといわざるを得ない。そして、前認定のとおり第一審原告は、預かった書類を袋ごと第一審被告会社の使者と考えられる者に返還したことが認められるところ、それが一部に過ぎず、一部は未返還であることを確知すべき証拠もないから、請求理由(三)についても懲戒事由としての事実的基礎はないというべきである(前認定のとおり、第一審被告会社が書面による書類返還の催告をしたのに対し第一審原告が書面による応答をしなかったことや、第一審原告が書類を返したと主張する人物に対し、後日問題を残さないようにするため受領証等の書類を徴求すべきであったと考えられるのにこうした手立てをとらなかった点において弁護士としてやや配慮に欠けた面のあることは否定できないが、このことを考慮しても前記の認定を左右しない。)。

しかしながら、もともと請求理由(三)は、本件懲戒請求においては請求理由(一)や(二)等に付加して主張された補足的なもので第一審被告会社がこれのみをもって懲戒請求をしたとは考えられない事由であると認められるのであり、しかも、第一審被告会社が書面による書類返還の催告をしたのに対し第一審原告は書面による特段の応答もせず、書類返還の際受領証を徴することもしなかった事実も認められ、斎藤としては、こうした経緯と担当社員の点検の結果をそのまま信じて第一審被告乙山に書類の一部の未返還があるとの説明をしたものであり、第一審被告会社代表者が故意に虚偽の事実を申告したりあるいは全く不用意な態度から書類の一部の未返還の事実を懲戒事由として掲げたとは認めがたい。そして、第一審被告乙山としても、斎藤や第一審被告会社の社員一柳から説明を受けて、その言うとおり資料の一部の返還を受けていないと判断したものと認められ(乙五、丙一、四、原審における第一審被告会社代表者本人)、未返還であるとする資料の特定が必ずしもできていなかったからといって斎藤らの説明に事実的根拠がないことを容易に知り得たとも本件証拠上認めがたいから、請求理由(三)についても、第一審被告らが本件懲戒請求において懲戒事由の一つとしたことが違法であるとまではいえない。

そうすると、第一審被告らの本件懲戒請求については違法性はなく、第一審原告に対する不法行為になるものではないというべきである。

二  第一審原告の第一審被告会社に対する一〇〇万円の請求について

当裁判所も、第一審原告の第一審被告会社に対する一〇〇万円の支払請求は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほかは、原判決書三四頁六行目から三七頁一行目までの記載と同一であるから、これを引用する。

原判決書三六頁二、三行目の「返還義務が生ずることにはならない。」の次に改行して、以下のとおり加える。

「また、第一審原告は、本件一〇〇万円の返還合意には、当事者間の紛争を一切解決すること、さもなくば(第一審被告会社においてその約束に違反したときは)一〇〇万円を改めて第一審原告に返還する義務を負うという解除条件が付されていたものであるところ、第一審被告会社は右の約束に違反したので一〇〇万円の返還を求めるとの主張をするが、第一審原告と第一審被告会社の前記合意が第一審原告主張の内容の解除条件付きのものであったとは本件証拠上認めがたいから、第一審原告の右主張は前提を欠くものであって採用できない。また、第一審原告は、紛争の全面解決という前提条件の下に一〇〇万円を返還したものであり、その前提が第一審被告会社により覆された以上、第一審被告会社が一〇〇万円の経済的利益を保有し続けることは不当利得となるとの主張もするが、第一審被告会社の本件懲戒請求権の行使は、弁護士法五八条に基づき何人にも認められた公法上の権利行使であって、それ自体第一審原告と第一審被告会社との間で私的紛争の全面解決の合意があったとしても妨げられる性質のものではなく(なお、本件懲戒請求が専ら第一審原告に対する金銭請求又は報復の手段として行われたものと認めるべき証拠はない。)、第一審被告会社が一〇〇万円の経済的利益を保有し続けることが何らの不当性を帯びるものではないから、不当利得の主張も失当である。」

三  結論

よって、第一審原告の請求を一部認容した原判決は相当でないからこれを取り消し、右取消しにかかる部分の第一審原告の請求を棄却し、第一審原告の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官大島崇志 裁判官豊田建夫)

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